【伝承】インタビュー 「“協調”できる強靭な国際人を作る」 ②
「“協調”できる強靭な国際人を作る」 ②
木原 隆司(きはら たかし)獨協大学経済学部教授
木原先生は、1980年に大蔵省(現財務省)に入省されて以来、さまざまなグローバル交渉を担当されてきました。その他、外務省、米州開発銀行、アジア開発銀行研究所等の国際機関、長崎大学・九州大学等の研究・教育機関での多彩なご経験を経て、現在は獨協大学経済学部で強靭をとられています。
今回は、長年にわたって国際交渉を積まれたご経験を踏まえ、「グローバル人材育成」をテーマにお話を伺いました。
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敵は本能寺にあり
河合:その後、ジュネーブにいらっしゃったんですよね?
木原:はい。在ジュネーブ国際機関日本政府代表部時代、自分の教訓となった面白い話がいくつかあります(笑)。
河合:では特に印象に残っているお話をお願いいたします。
木原:ウルグアイ・ラウンドの終盤のことです。交渉で紆余曲折あった末最終的に当時のEC(欧州共同体)から出された条件が厳しくて、日本としては合意できないムードだったんですね。しかし、期限ギリギリになって、「合意をしてもよい」という公電があったと連絡が入り、その報告に驚きながらも、私が当時合意するか否かをEC側に伝える役目だったので、EC側の主席交渉官に「合意する」と 電話で伝えました。実はその「合意してもよい」という公電があった、という報告が某省の一部の人による嘘だったと判明したのはその直後でした。公電なんて来ていなかったんです。つまり、一部の省が嘘をついてまで合意をとりつけようとした、ということです。しかし、一度「合意する」と先方に伝えてしまった手前、それを撤回すればあまりにも大きな影響が及ぶため、結果的には撤回することはありませんでした。「敵は本能寺にあり」とはまさにこのことです。
河合:当時のその省は何のためにそのような嘘をついたのでしょうか。
木原:要は「まとめたい」ためだったんですよね。
河合:そのようなことは結構沢山あったのですか。
木原:「敵は本能寺にあり」のようなものは沢山あります。実は敵は海外ではなく国内にいる。
私が関税局の補佐をやっていたときに、自分の知らないところで、強化ワイン*(※)とトマト・ピューレの関税を下げることで合意して欲しいという手紙が当時のECに送られていたことをECの国際会議で知らされ、後に、それが交渉の合意をこぎつけたかった別の某省によるものだと判明したんです。しかも、問い詰めたときにはやっていないと嘘をつかれました。因みに、トマト・ピューレは農水省、強化ワインは大蔵省の管轄でした。こういうまさに合意させたい人たちによる嘘みたいなものがあったせいで、本来強化ワインは日本で作っていないので競合するものがなく、関税を引き下げてもほとんど問題ないのに、業界からの信用を失い、最終的に関税の引き下げを10年間も遅らせることになったんですよ。先ほどのウルグアイ・ラウンドもそうですが、「交渉は正直にやらないとだめだ」と痛感しました。これは私にとって大きな教訓です。
- ※強化ワイン(Fortified Wine):通常のワインの発酵中または発酵終了後に、ブランデーなどの強い酒を加えアルコール度を上げ、コクや保存性を高めたワインのこと。スペインのシェリー、ポルトガルのポートワインやマデイラが有名。
河合:どのように「正直に」でしょうか。
木原:つまり、これ以上は絶対に行けませんっていう、自分のところのボトムラインがあるわけですよね、そこを相手方に対しても正直に示す、ということです。そうすれば、そこからお互いの譲歩が始まる。互いのボトムラインから互いに歩み寄っていかないと絶対に合意はできない。
河合:当時、役所の体制のどのようなところが交渉を困難にさせていたと思われますか?
木原:やはり縦割というところでしょうか。特に80年代位までは、それぞれの役所がそれぞれの業界代表っていう意識を持っていた。農水省は農林業界の、財務省は酒の業界の代表ですし。だから、自分たちの利益を守るためだったら相手を蹴落としてもいいってそれぞれの役所が思っていたんですね。
河合:歩み寄ってできるだけwin-winな形に、という意識はなかったということですね?
木原:今は役所同士が争っている状況ではないし、役所全体としての国益を高めようとしているので、当時よりずっと建設的な体制になっていると思いますが、当時はそのような意識はほとんどなかったですね。ちなみに、当時の一部の外交官にとって何が一番の利益だったと思いますか?
河合:うーん、少しでも有利な協定を結ぶ、とかでしょうか。
木原:当時、一部の外交官の人たちが考えていたことは、自分たちが嫌な思いをしないことでした。そのためには、自分の国ではなく相手国の利益になることをするのが良かったんですね。だから、そのような人々にとっての国益って何だったんだろうと考えると、例えば、先ほどのウルグアイ・ラウンドの話であれば相手国の利益だったんですよね。だから、本当に80年代位まではそのような人々は自分たちが嫌な思いをしないように動いたし、他の役所は自分の業界のことしか考えていなかった。
河合:そのような、みんなが違う方向を向いていた中で、外国との交渉にあたる上で特に意識されていたことはありますか。
木原:まずは国内をまとめるっていうことですよね。国内をまとめないと結局上手くいかない。
河合:相手国にも信用してもらえないですよね。
木原:信用してもらえないし、さっき話したような、関税を10年間下げられないとか、そういう問題が生じるわけですよね。国内で色々なせめぎあいがある中でも確実に合意を形成していかないと海外との交渉で戦えない。だから、国際交渉って「国内をどうまとめるか」っていう話なのかな。時には、外圧や海外からの要望を利用して、こっちの方に持っていった方が将来的に日本にとって良いことがある、っていう理屈を作ることでまとまることがある。でも結局最後は、交渉にあたる交渉官の落としどころにかかっているのかもしれないですね。
河合:どこに落としどころを定めるか、ですね。木原先生は長きに渡って海外で生活されましたよね。海外で得たことが、国内をまとめる上でどのように生かせていると思われますか。
木原:やはり実際に海外で働いていると、例えば、相手が大体どこまでならオッケーなのかとか、今後どういうやり方でくるかとか感覚的に分かってくるんですよね。だから、外務省にいたら公電という形で国内に知らせたり、役所にいたら担当課で、こうすれば合意に持っていけるんじゃないかっていう提案をしたりしました。とにかく、合意するためには、国内を説得する理屈を作ることが必要なんです。
それは相手国においても同じこと。一方的に自分の国だけがいいという形にはならないし、してはいけない。交渉は論理から始まり、その上で紙を作り、仲間を作り、というのが私の基本的な考え方です。論理っていうのは全世界的に理解できるものです。そして、論理を紙の形にする上で国際共通語である英語が必要になるんです。そういうプロセスで合意を形成していく。
河合:対外交渉であっても、基本的には国内交渉と同じで、いかに国内をまとめるかということなのですね。
木原:そうです。だから、対外交渉だからと言って特別な能力が必要なわけじゃない。お互い、この交渉によって今よりも良くなるって思わないと合意しないわけですよね。だからこそ、今より良くなるっていう理屈を作ることが大事なんですよ。