Vol. 5 「「AI敗戦」から100年前を見つめ直す~ヨハンソン・ゲージが教えてくれること」ナカツ・ユキコ 様

今回の談話室には、コンサル会社で活躍されているナカツ・ユキコさんからお寄せいただいた一文を掲載します。

ナカツさんは、昨年、ICBが実施した「国際会議人材育成講座」に参加されたことにより、ICBの活動に触れられ、その目指すところが日頃の国際標準化のお仕事と共通する面があると気付かれて、その思いを披露して頂いた大変興味深い内容です。

グローバルな場面で価値観の違いや摩擦を乗り越えて、一定の成果を作り出していくことに興味・関心をお持ちの方には大変参考になる内容であると思われますので、ぜひご一読ください。

 

「AI敗戦」から100年前を見つめ直す~ヨハンソン・ゲージが教えてくれること

ナカツ・ユキコ

 2024年、ChatGPT登場から遅れること2年、日本政府は「GENIAC」に84億円を投じた。
 「完全に出遅れだ、AI敗戦だ」という声が飛び交う。けれど、と私は100年前もまた日本が似た状況にあったことを思いだす。
 1922年、日本はワシントン海軍軍縮条約で、主力艦保有比率を対米6割に制限された。いうなれば、「量」で(欧米に)勝てないと宣告されたわけだが、実はこれが今日の技術革新の出発点のひとつにもなった。私たちはそれを忘れていないか、と。
 1923年に竣工した軽巡洋艦「夕張」。この船は排水量3千トン級でありながら、5.5千トン級の巡洋艦に匹敵する火力と速力を発揮した。つまり日本は1.7倍の機能を詰めこんで、制約をアッサリとクリアした。造船官・平賀譲はあらゆる部材をグラム単位で見直し、無駄をそぎ落とすことで、これを実現した。装甲板は防御だけでなく、船体強度部材としても機能させた。この極限の軽量化を支えた技術のひとつが、精密測定基盤という「標準」だった。
 「ヨハンソン・ブロックゲージ」とは、スウェーデンの小銃工廠で検査係長だったC・E・ヨハンソンが1900年頃に発明した、0.001ミリメートル精度で様々な長さを正確に作りだせる器具である。明治来の富国強兵を職人の経験・勘で乗りきってきた日本は、第一次大戦で精密工業の必要性を痛感し、本ゲージをひそかに買い求めた。1923年には早くも津上退助(津上製作所、現・株式会社ツガミの創業者)が、1925年には黒田三郎(黒田挟範製作所、現黒田精工の創業者)が、相次ぎゲージ国産化に挑みはじめる。
 興味深いのは、欧米ではゲージを主に標準規格部品量産に用いたのに対し、日本では摺合せの極致達成に使われるようになった点である。フォード社は、どの工場で作ったどの部品も無調整で填まるよう公差を管理した。悪く言えば、人間は最先端の測定道具を使って見つかった不良品を「はじくだけ」の存在になった。対して、日本ではゲージをミクロン単位で測り、完成個体に隙間を極限までつめる「超精密擦合せ」を人が行なうための道具として鍛錬していった。黒田らは、横浜高等工業学校(現・横浜国立大学工学部)に指導を受け、理論と町工場の職人技を融合させながら、精度を高めていった。日本における産学連携の先駆けである。
 そして1930年代、日本は満州事変を経て戦時体制へと傾斜していくわけだが、国産ゲージ技術は花開いていった。航空機産業では、ピストンやシリンダーの隙間管理やプロペラ軸の加工で、ミクロン単位の品質管理が機体性能とパイロットの命を左右した。三菱の「栄エンジン」の部品は「ほとんどが黒田挟範のゲージを使ってつくられた」という。海運でも、呉海軍工廠が、広島の東洋工業(現・マツダ)を指導して、ゲージ製造に踏みきらせた。
戦後、航空産業等は解体されたが、技術は残った。
 マツダはゲージ事業で培った技術を後のロータリーエンジン開発に活かした。ツガミや黒田精工は工作機械や半導体装置メーカーとして大きく発展。先に触れなかった株式会社ミツトヨ(1942年参入)も戦後、独自の工夫でゲージ業界国内外トップクラスのシェアを獲得。現在、ブロックゲージの信頼性はJCSS(Japan Calibration Service System)が支え、ISO 90001などの品質管理システムで必須要件化されるに至っている。
 つまりヨハンセン・ゲージにより「精度を皆で共有する」概念が発明され、職人の個人的技量に依存していた製造業界が、ここから科学的で客観的なシステムへと発展していった。政治的・資源的制約下で津上や黒田らがさらに咀嚼して技術的に自立し、「密結合」な「高品質」インテグラル製品製造の礎を築いていった。ナノ精度は今世紀、ISOグローバル標準になり、デジタル時代に突入した今日もバーチャルなデータの正しさを担保する最後の砦になっている。
 このように振り返ると、AIをめぐる今日の歩みと歴史の近似性を感じないだろうか。
 欧米で先行した生成AI技術が要求する計算資源、データ、電力——そのいずれも日本は圧倒的に不足している。しかし、センサーや制御装置、ロボットアームがミリ秒単位で連携する最新工場の製造ライン、自動運転や遠隔手術など、リアルタイム性や信頼性が求められる領域では、それぞれの現場で限られた学習データと限られた計算資源で動くエッジAI、省電力AIがなければ、連動させるのは技術的に困難だ。無理に大規模AIに一極集中させると逆に制御トラブルや安全上のリスクを招く恐れもある。
 また筆者が在籍するIT業界では、システム全体をすばやく作り替えやすくするため、部品同士を緩くつなぐ「疎結合」という設計思想が主流だ。たとえばiPhoneでもAndroidでも動くスマホ・アプリが次々発表できるのはこの発想のおかげである。一方で僅かな誤差や遅れが命取りになる分野などは、日本型の「密結合」(擦合せや一体設計、個別最適化)が向いている可能性もあるかもしれない。
 制約の大きい日本が省資源でも高性能を引きだすために磨いてきた創意工夫は、次世代の国際標準に結びついていくかもしれないのだ。大切なのは、一時的な”勝ち負け”に一喜一憂するのでもなく、制約を悲観して終わるのでもなく、本質に向き合って技術探索すること。同時にそうした折角の日本の技術者の努力を、国際社会との摩擦のなかで損なわずに伝えていく意思、その持続ではないだろうか。
焦らず、慌てず、曇りなき眼で、循環する歴史を眺め、世界の価値観の違いや心理的摩擦にどう配慮して、現場で磨かれた技術を世界に開き、つなげていくのか。
 国際標準化に携わる者として、ICBで先達から受けつぐ様々な知恵を胸に、この問いと静かに向きあいつづける毎日である。

(ナカツ・ユキコ)

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